アナタはどこから知っている?コミケット会場変遷史【コミケ第100回(C100)記念コラム】
2022年8月、ついに記念すべき第100回(C100)を迎えるコミケット。今やコミケットといえば東京ビッグサイトというイメージが定着しているが、実は過去には11カ所もの会場が利用されていたことをご存じだろうか? そこで今回はC100を記念して、コミケット会場がどのように変遷してきたのかを振り返ってみよう。
1975年コミケ第1回は虎ノ門の日本消防会館、たった700人で始まった!
そもそも、同人誌即売会「コミックマーケット」は批評集団「迷宮 ’75」が立案し、1975年12月21日に第1回コミケット(C1)が、虎ノ門の日本消防会館で開催された。このときの中心メンバーはわずか4人、参加者は推定700人であった。
その後、C2-C4は板橋産業連合会館、C5-8・C10-11・C13は大田区産業会館、C9のみ四ツ谷公会堂、C12は浅草の東京都立産業会館・台東館など、しばらくの間は、都内の産業会館などを転々とする。
人気の観光地「浅草」に今もある「東京都立産業貿易センター台東館」。実は、当時ボヤ騒ぎがあって1度しか使用されなかったんだとか……(筆者撮影)
コミケットといえば東京のイベントというイメージが強いだろうが、意外にもC14~C17は川崎市民プラザ、C18は横浜産業貿易ホールなど、川崎や横浜など神奈川方面で開催されていたこともある。
1980年代前半、C14~C17は竣工したばかりの川崎市民プラザが利用された。このころコスプレイヤーが急増する(筆者撮影)
1981年のC18では参加者が1万人を超えたこともあり、C19からはいよいよ晴海の東京国際見本市会場(第一期)が利用されるようになる。ちなみに、1984年のC26では参加者総数はすでに3万人に達していた。
コミケのベテランには懐かしい晴海の東京国際見本市会場。写真は1995年C49のの様子(C館)。撮影者:Kobak(写真はWikipediaより転載)
1986年のC31は諸事情でコミケットの会場はTRC 東京流通センターに移動する。ところが、TRCは会場が狭くやむを得ず2日間の開催となった。その後も回を追うごとにコミケットの参加者は増え続け、C32では6万人に達し会場は大混雑することに。
C34では再び晴海(第二期)に戻ってくるが、1989年のC36では参加者がついに10万人に達してしまう。そこで、1989年のC37から千葉県・幕張メッセに会場を移すことになるが、1990年代に入っても参加者はさらに増え続け、C39では参加者総数が25万人を記録することに。
千葉県にある幕張メッセ(日本コンベンションセンター)はC37~C39の3回しか使用されなかった。ただし、25年後の2015年に開催されたコミケットスペシャル6の会場として再び利用されている(筆者撮影)
C40~C49では諸事情によりまたもや晴海(第三期)に戻ることになったコミケットだったが、晴海は1996年で閉場されることになり、いよいよ1996年の夏コミ(C50)から、有明にある東京ビッグサイトが使用されることになったのだ。
コミケットではお馴染みの東京ビッグサイト。最初に利用されたのは1996年のC50からなので、なんとコミケットの半分が東京ビッグサイトで行われたことになる(筆者撮影)
約47年もの歴史を持つコミケット。会場の変遷を図にすると、11会場、14回目の移転で東京ビッグサイトに落ち着いたことが分かる(画像はコミケPlus Vol,4「40周年記念特集号・前編」より転載)
●参考元「コミックマーケット年表」→こちら
(文=いしばしいちろう)
イメージ写真はコミケPlus編集部提供